日常のはきだめ。

独り言をつらつらと

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こんにちは。2018年も残すところあと3日ですね。

私の中の感覚ではまだ2018年始まったばかりの感じなんですけど、本当に年々時間がたつのが早くなって恐ろしいです。みなさんの2018年はどんな年でしたか?

私は、これからの人生において唯一無二の存在ともいえる人に出会えて、これからの人生を共に生きていきたいと思えた人に出会えたそんな1年でした。いい年だったといえば、そうかもしれません。

 

二週連続で彼氏と別れ話をしまして、二回とも失敗に終わったわけですが。失敗っていうと私が別れたかったってことになるけど、そうじゃなくてお互いのためかなと思って別れるっていう選択肢を選んだんですけどね。

前の記事でも何回か、「分かり合う」ってことに関してのことを書いたと思うんですけど、本当に「分かり合う」ってなんなんですかね。どうしたら分かり合えたことになるんですかね。「分かり合えない」ことを尊重することなのか、「分かり合えない」ことを分かり合えるまでぶつかるのことなのか、それとも「分かり合えない」を分かり合えないって「分かる」ことなんですかね。たぶん、人によって違うんでしょうけど。私たち二人にはどの道があってしかるべきなのかなって、そればかり考えてしまいます。

 

「獣になれない私たち」ってドラマ、すごく面白かったんですよ。見てない人ぜひ見てください。そのドラマの中で出てくる晶っていう人がいうセリフで、「私は誰の人生を生きてきたんだろう」っていうのがあるんです。ネタバレすみません。

このセリフ聞いたとき、自分と重なる部分がすごくあって。今までの私って、好きな人とか彼氏のためにどんな人間にでもなってきたし、カメレオンみたいに上面とかころころ変えて人と接してきたなあって。別にやってるときは全く苦ではないし、実際それでよかったこともあったけど、今考えてみると、私は「私」でいたときがあったかなって思ったんです。その人が望む「私」になって、その場に合う「私」になって、面倒掛けないように、迷惑かけないようにいろんなもの飲み込んで耐えて、そうしなきゃいけない場面はもちろんあるし必要な事なのもわかってるんですけど、ずっとそれでいいのかなって思わず考えてしまいましたね。

私のそれは、演じるじゃなくて完全に「成る」だから、だからしんどいのかなあ。演じられるほど器用だったらこんな苦労してないなって思う。

 

だから、少なからず今の彼氏にはそうならないようにしたいなって思ってるんです。逆に迷惑かけるだろうし、今までと同じように私に限界が来て爆発して終わりなんてことにはしたくないから。

23年間ずっと誰かの「私」でいたせいで本当の「私」ってなんだろうって思うけど、今の彼氏と、かけがえのない人たちに頼りつつ探していきたいなって思います。私の2019年の目標です。

 

 

2018年最後の文章になると思うので、長々読みづらい文章ですみません。

皆様、よいお年を!